幸せの価値は人それぞれ違うもの

人は皆、幸せな人生を送りたいと思っています。
ただ、幸せの形は人それぞれであり、お金、ライフスタイル、自己実現、生きがい、心身など求めているものは違いがあります。

従って、他人に自分の主張を押し付けるのだけは、よろしくないですね。
例えば、○○があれば幸せなはずだ、なんて言い方する人は、残念な思考の持ち主なのかもしれません。

その昔、お酒が苦手な人が、お酒の強い人に言われました。
「お酒を飲まないなんて、人生の半分は損をしている」
完全に、残念な思考の持ち主ですよね。

その人は、お酒の無い人生は考えられないのでしょうが、デメリットも多いはずです。
繁華街では酔っ払い同士のトラブルなどで、しなくてもよいケガなども負う可能性は否定できません。

何を根拠に「人生の半分は損」なのでしょう。
当然、言われた方は、良い気分ではありませんし、今でも十分に充実した生活を送っているのです、その人よりも。
結婚相手には理想的な人になるでしょう。

毎日、付き合いだと言っては飲み歩く人ほど、小遣いが少ない傾向にあります。
それはそうですよね、お酒代が家計の負担になっているわけですし、タバコやゴルフともなれば、昇給の望めない会社の社員は家計に余裕が無いでしょう。

幸せの価値観

幸せについて考えた時、世間の目から見た幸せと自分自身の幸せの感じ方に違いを感じたことがある。
勉強ができて、いい大学に出て、いい会社に入って、何不自由なく暮らせだけのお金がある生活をして、などなど広い意味で世間一般の考える幸せというのはアナログ的かもしれないがこういうことだろう。
でも、と思うのだ。
一概にそれだけが幸せと呼べるのかい?と、私は考えてしまう。

そこそこのお金がもらえて、普通の暮らしができてさえいればいい、と考える人がいるとする。
そして、その人がはそういう生活ができていて幸せだと思っている。
特別何かが凄いわけでもなく、平々凡々とした生活だ。
この場合その人にとっては幸せな生活なのだ。
だから、世間という軸に当てはめなくていいのではないのか?と思うのだ。
価値観なんてものは人それぞれだと思っている。
金持ちになりたいという野心家がそこそこの給料しかもらえていなかったら、それは幸せではないのだろう。
だが、その給料で満足という人もいるわけである。
お金があるから幸せか、といわれると一概幸せだとは言えないかもしれない。
私なんかは、お金はあった方がいいとは思っている。
けれど、必ずしもたくさんなければいけないとは思っていなくて、なかったらないなりの生活していくだろう。
お金がすなわち幸せに直結しているとは考えていないのだ。
これは価値観の問題だから、世間を主軸において考えたらずれが生じるのは当たり前の話だ。
世間の価値観というのは正論ではあるのだろうけど、必ずしも正論がすべてであるという事はない。
個々人思い思いの幸せの形というのはあるのだから、周りにとやかく言われようが自分が幸せと感じているならそれでいい。
そんな風に私は思っている。

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